南靠山開拓団の慰霊碑について(旧満州に移住)
Posted: 2014.07.10
戦前と戦時中に道内などから旧満州に移住した「南靠山開拓団」の慰霊祭が、今年で70回目を迎え
今年が最後の慰霊祭となるそうです。生き残った家族や親族の高齢化が理由です。
戦争を実際に体験している世代の方々が、だんだんいなくなってきて、
私たちが実際に、この目で見て実感できるのは、石でつくられた慰霊碑だけになっていきます。
北泉岳寺さんの境内に設置されている慰霊碑の今後の存続管理には、
北泉岳寺さんのご協力により今後も、この先の戦争の事実が遺されることになっております。
ご住職、ありがとうございます。
しかし、各自治体や神社にある先の戦争にまつわる慰霊碑は
ほとんどが、メンテナンスが必要な状態ですが、なかなか行政からの予算がつかないので
今後は、カタチに残る石碑すら取り壊されることになるかもしれないと思うと、とても残念なコトです。
さて、約500人いた南靠山開拓団の団員約500人のうち、戦後の引き上げの途中で
再び母国の土を踏めなかった殉職者は計286人
当時、逃げてきた方の話を聞くと、平和な現代ではとても想像のできない話、
ご本人たちにとって、一生心の傷となるようなことばかりです。
特に民間人より早く情報の入る、日本の軍隊やお偉いさんは、
民間人を置き去りにして、さっさと逃げてしまったこと
当然、時の政治家も今の政治家の多くの方々も残念ながら、このような事実は公にしたくないのでしょう。
残念ながら、これからの世代に、先の戦争の歴史の真実をどう伝えていくのかが
本当に難しくなっていく一方です。
この話にまつわる約100ページの資料を頂きましたが、
今後の日中友好にとっても貴重なものも多くあります。
例えば、
〈陳穀副総理は「過去のことはもう過ぎ去ったことにしましょう」と言われた。
野間団長と亀井先生は、陳穀副総理はそう言われるが我々日本人としては、
日本が過去に起こした中国への侵略戦争については責任を負わなければいけない。
従って過去を忘れてはいけないし水に流すことはできません。と表明した。
それを聞いた陳穀副総理は即座に「そう言われることは素晴らしい。皆さん、ありがとう。
我々は過去のことは、過ぎ去ったものにしようと言い、貴方たちは日本人として過去を忘れてはいけない
と言われる。そうであるなら、両国民は本当の友好を実現することができるでしょう。
逆に我々が日本をずっと恨み、あなた方日本人が中国を傷つけたことを、きれいさっぱり忘れてしまう
ようなことになったら、中日両国はいつまで経っても友好関係を実現することはできないでしょう」〉
上記の言葉は、陳穀の発言である。外交部長〈外務大臣)、副総理として周恩来を補佐、解放軍元帥の一人
である陳穀は1960年6月6日、日本作家代表団と会見した際、こう発言した。
日本の団長は、作家の野間宏、亀井先生とは文芸評論家の亀井勝一郎、二人とも鬼籍に入っている。
抗日戦争を戦い抜いた革命家である陳穀は、憎しみを超えてこのように発言した。
しかし、私たちは、この言葉に甘えることなく、日本の侵した歴史の事実をしっかりと記憶し
若い世代に伝えていく必要があるだろう。
《上記 陳穀副総理の永続的な日中友好への願い から抜粋》
当社で携わった慰霊碑のことが、北海道新聞に掲載されたので、少し思ったことを綴ってみました。
多少左とか右とかの考えもあるかと思いますが、これからの世代の人たちのためにも、
歴史の真実は日本人として知りたいところです。